エルナビゲーション ~魂の喜ぶ方向へ~

夢という頂上を目指そう!

新年早々、重たい話題かもしれません。
突然ですが皆さんは、
自分が死ぬ時を考えたことはありますか?

 

孤独死をしたらどうなるんだろう・・・

 

家族はこのまま生きていけるのだろうか・・・

 

仕事の引継ぎないまま自分がいなくなったら、
お客様も会社も困るのではないだろうか・・・

 

いろんな不安が出てくる方も多いでしょう。
また、死ぬ時の原因にもよって出てくる不安も異なるでしょうね。

 

実は夕べ見た私の夢は、
自分が死ぬ夢だったのです。

 

死因はよくわかりません。
よくわからないのですが、
とんでもなく幸福感に包まれた死でした。

 

数人の友人たちは普段着でしたので、
いわゆる「通夜」なのでしょう。

 

彼らの中で大泣きする人はいなくて、
笑顔交じりで「ちょっと淋しいね」と涙ぐむ感じでした。

 

私はそれがとても嬉しくて、
実際に涙を流していたのです。

 

3年ぐらい前に
「自分が死んだときに周りから何と言われたいか?」
ということを考えるワークをしたことがあります。

 

似たようなもので
「墓石にどのように刻まれたいか?」とか、
「自分の死亡記事はどのように書かれたいか?」
などもありますね。

 

これはとても良いワークだと思いますので、
皆さんも今、考えてみてくださいね。

 

 

 

私は自分が死んだときに
このように思ってもらえたら幸せだなと考えたこと。

 

「あなたがいなくても、私たちはもう大丈夫です。
あなたの分も私たちは前進し続けます」

 

そんなふうに言ってもらえたら、
コーチ冥利に尽きますね。
私はお役目をしっかりと果たし、
安心してこの世を離れることができると考えたのです。

 

そして今回の夢。
一体何が幸せと感じたのかというと、

 

誰一人、怖れの中にいなかったこと。

 

ちょっとした淋しさはあるけれども、
笑顔で送ってもらえたこと。

 

そして、愛されていることを実感したこと、です。

 

夢の中には、
数年全く連絡を取らなくなった人もいらっしゃいました。
そんな人でも想ってくれているんだと感じると、
疎遠になった人であっても、
感謝の気持ちが溢れてきます。

 

私が思い出さなくなった人の中にも、
きっと私のことを心配し、
想ってくださっている方もいらっしゃると思うのです。

 

傍に居なくても、
きっとそこにある想い、愛。

 

それを普段から感じることができたのなら、
どんなに幸せなことでしょうか。

 

私たちが幸せを感じられないときは、
「愛されている」という実感がないときです。

 

それは人によって
「認められていない」
「話を聴いてもらえない」
「思い通りにならない」などということかもしれません。

 

あなたが「愛」を感じていなくても、
「愛」はそこに在るのです。

 

あなたは気付かなかったとしても、
木や草の影に小さな花は咲いているのです。

 

あなたに安らぎや幸福感を与えてくれるものは、
今は隠れていて見えないだけなのかもしれませんね。

 

 

さて、私は今回見た夢で確信しました。
いつ死んでも後悔しないと。

 

何かを成し遂げる途中だったとしても、
きっと後悔しない。

 

全ては宇宙の采配。
死は誕生の機会。

 

本当に素晴らしい夢を見ました。

 

全ての出来事に感謝します。
全ての出逢いに感謝します。
全ての命を愛しています。

 

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